理 念
あわただしい現代だからこそ出会いを大切にし、ゆったりとした医療を私たちは提供いたします。
基本方針
急性期から慢性期まで切れ目のない医療を目指します
当法人には、急性期病棟、地域包括ケア病棟、療養病棟、
介護老人保健施設、有料老人ホームがあります。
急性期の治療を終えた患者さんが在宅復帰や施設入所が
できるような体制を整えています。
安心・安全・信頼できる医療を目指します
患者さんの「心」に寄り添うことが安心感につながり、
大切なケアであると感じています。
寄り添う看護をこれからも大切にしていくことで
信頼していただけるよう誠心誠意努めてまいります。
患者様及びご家族様の心が癒やされる病院を目指します
患者さん一人一人に真剣に向き合い、
患者さん自身の思いを知り、家族さんとの信頼関係を築くこと、
それが職員の必須条件です。
健全な病院経営に努めます
地域に根ざした医療・保健・福祉に専念し、
地域の医療機関としての役割を果たしていけるよう、
健全な病院経営に尽力していきたいと思います。
理事長挨拶
令和2年8月1日より、財団医療法人寺西報恩会理事長に就任しました 綛野進です。
当法人には「地域医療に奉仕する気持ちを心掛け、地域社会に貢献する」という理念があります。
今後もこの理念をできるかぎり踏襲していきたいと考えています。
長吉病院の設立時、平野区地域は交通の便があまり良くなく、周辺に病院もなかったことから、
当院が様々な分野の医療を担うようになり長吉総合病院へと育っていきました。
その後、地下鉄ができて大阪の中心部の病院に容易にアクセスできるようになり、
医療分野もより細分化されていくようになったため、総合病院としてその機能が患者さんの
医療ニーズに追いついていけなくなりました。
国は各病院に急性期・亜急性期・慢性期の医療分担を求めていますが、
当法人は地域社会に貢献するため急性期から慢性期まで切れ目のない医療・介護が提供できる
医療法人を目指していきます。
当法人は一般病棟、地域包括ケア病棟、療養病棟、老人保健施設、介護施設を有しています。
地域住民の高齢者比率も上昇し、地域医療に貢献するために現在ケアミックス型病院となっています。
急性期としては内科・外科ともに消化器疾患が中心で、整形外科では脊椎・肩疾患を中心とした
一般診療にあたっています。
総病床数も徐々に減少させてきましたが、病床数を維持し一般病棟、地域包括ケア病棟、
療養病棟の病床数の比率を変化させることで今後も急性期機能を維持しつつ、
高齢者医療を中心とした病院経営を目指していきたいと考えています。
これからも地域医療・介護に貢献できるように努力してまいりますので
皆様のご助力ご支援よろしくお願い致します。
創設者 寺西純吉
長吉総合病院の創設者 寺西純吉先生は、明治41年8月12日に
今の東住吉区杭全町に生まれ、育和小学校、生野中学校、
大阪高等学校、京都帝国大学医学部を卒業され昭和11年医師免許を
授かりました。
その後、日本赤十字社大阪支部病院内科婦人科医となり、
昭和12年に平野区長吉川辺に於いて医院を開業され、
昭和38年に「長吉病院」を開設(現医療法人寺西報恩会長吉総合病院)
しました。
寺西先生は、生まれてすぐに実母を亡くし寺西家の養子となり、
中学生のころ日本脳炎にかかり一命をとりとめましたが、
一年ほど歩けず手足の麻痺に苦しみながらも勉学に励み進学されました。
裕福な家庭ではなかったので学資も自分で工面し、寺西先生の人柄もあり、
いつも良き方々から支えていただいたおかげで医師になることができました。
そんな思いから地域のために貢献したく、また、地域からの願いもあり現在の場所で長吉病院を設立し、
保育園、幼稚園、小学校、中学校の校医として多くの子どもたちの健康管理を引き受けておられました。
寺西先生は支えて下さった方々に恩返しができるよう、奉仕の精神で地域医療を最後まで全うされました。
『地の塩』のご紹介
寺西純吉先生が生前書き残しておりました原稿をもとに
編集し、1年後に「地の塩」が刊行されました。
寺西純吉先生の生い立ちや、親交があった方々の弔辞を
纏めた本です。
「地の塩」とはイエス=キリストの教えであり、神を信じる者は、
腐敗を防ぐ塩のように、社会・人心の純化の模範であれとの意で、
社会のために尽くして、模範となる人のたとえです。
寺西純吉先生はまさにこの「地の塩」のような人生を歩まれた先生でした。
事業概要
介護療養型
老人保健施設ナーシングホーム長吉
〒547-0016
大阪府大阪市平野区長吉長原1丁目2番34号
長吉総合病院内 西館3階
電話番号:06-6709-0301
FAX番号:06-6707-8840